【気になる自分哲学:認識について①】
みなさん、こんにちは
前回の初回ブログで、
認識の話を後段、少ししました。
そう、認識ってものすごい大切であり、
ものすごく奥が深いのです。。
この認識ってもんを、今回からシリーズ化して、
深堀していきたと思います。
なぜ、認識が大切なのか、
それは「認識が行動に繋がるから」、と言うことです。
さて、このブログでは、
認識するものを整理して、考察を深めたいと思います。
(これに、明確な答えはないんので、悪しからず)
まず、認識するからには、何かしらの情報が必要となります。
認識とは、
端的にいえば「五感を通して感じた」情報について、
ある意味を与えたもの、またはある意味があるものと気づいたものが積み重なり、「認識」となる、と考えられないでしょうか。
(個人の見解ですので、辞書などは参照していません。一応、weblioだと)
端的に表現すると、
「認識」とは、
「五感を通して感じた情報について、ある意味を与えたもの、またはある意味があるものと気づいたことが積み重なったもの」
と、言えるのではないでしょうか。
※ここでは、一旦この定義として、話を進めます。
この「認識」をうまく図にしたものがありました。
これ↓
面白いね!
ある程度ぼんやりと「認識」の言葉の意味を定義したところで、
次回は、認識の過程を整理していきたと思います。